第1章 自閉症スペクトラムとは

診断までの道のり

私が発達障害の存在を知ったのは、2009年の夏、まだネットワークエンジニアとして現場に出ているときでした。 ちょうど、精神的にも身体的にもエンジニアを続けることに限界を感じ始めていた頃のことです。
ある日、番組で放送されていた「アスペルガー症候群」の女性の再現映像を見て、時が止まってしまったかのように凍りついてしまいました。
再現映像のなかの彼女は一見ごく普通の人ですが、どこか他の人とは違う感覚を持っており、職場や私生活でさまざまな困難に遭遇していました。 例えば、電話応対で電話を聞きながらメモを取ることができない。始めに聞いたはずの名前を取り次ぐときには、忘れてしまっている。様々な光や音に翻弄される。 あらゆる困難の中で生きてゆくその姿は、過去の私と酷似していたのです。
私はきっと「アスペルガー症候群」なのだろう。そう確信しました。

その後は何かに取りつかれたかのように、ネットで調べ、市の発達相談支援センターへ向かいました。
そうして、しばらくしてから「WAIS-Ⅲ」という知能検査を受け、結果、他の人とは違う発達の歪みが確認されたとの連絡が入りました。 それからは、運よく市の発達障害支援センターでの最初の面談時に紹介された「発達障害専門外来」のある都内の病院へ、検査結果を携えていくことができましたが、 病院の最初の診察では、「WAIS-Ⅲ」の検査結果は障害と言えるほど激しい発達の歪みはないと言われてました。
その後、これまでの体験談や児童期の資料を基にした成育歴を提出し、また実際に診断された方々がいるショートケアの参加をして、改めて「アスペルガー症候群」と診断がおりました。 おそらく、社会経験を重ねるうちにある程度他の定型発達の人に合わせる術を覚えていった結果でしょう。調べたときに知った「成人の発達障害の診断の難しさ」がよく分かりました。
最終的に診断がおりたとき、これまで社会も荒波に揉まれてきた苦労を重ね合わせて「ホッとした」というか、何とも言えない安堵感を覚えたものです。

後に、そのショートケアに通うようになって出会った人たちと話す機会を得ますが、診断時については、三者三様の感想を持っているようです。 私のように、インターネットで症状や当事者の情報を調べに調べつくした結果、診断を受ける人は同じように安堵感を覚えます。きっと、そこに辿り着くまでに数えきれない苦労を重ねてきたのでしょう。 しかし、家族や会社の上司に連れて来られるケースも少なからずあり、その場合は大きなショックを受けることが多いです。 アスペルガー症候群など『自閉症スペクトラム』のなかでも知的障害のない「高機能」のタイプは、パッと見は定型発達の人とほとんど変わりません。しかしながら「なぜ不器用な生き方しかできないのか」という戸惑い、 そして、心の奥底にある葛藤と深い闇を抱えており、問題はとても根深いのです。
そんななか、近年ようやく動き始めた発達障害者への支援に、私は心からの感謝と希望を持っています。
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