第1章 自閉症スペクトラムとは

アスペルガー症候群の歴史

ある程度、認知されてきたとはいえ「アスペルガー症候群って何?」という方も多いことでしょう。事実、私などは三十路を数年越えて、ようやくその存在を知ったのですから無理もありません。 まずは、アスペルガー症候群の成り立ちから始めたいと思います。
ただし、トップページにも記載しましたが、私は医者でも専門家でもなく、ただの一当事者です。医学的な詳しいことはお話しできませんが、大まかな歴史と特性をお伝えできれば思っています。 なお、歴史や障害特性については、岡田尊司氏著「アスペルガー症候群」の記述がとても分かりやすかったので、参考にさせていただいております。

「アスペルガー症候群」という名は、この特徴を初めて報告したハンス・アスペルガーという、オーストリアのウィーン大学小児科クリニックの医師の名にちなんでつけられました。 時は第一次世界大戦後、敗北したオーストリアでは、社会が混乱し、日常生活も著しく荒廃していました。そうした中で、恵まれない子供たちは、何の保護も手当もされず、路頭に放り出され悲惨な状況に置かれていました。 その窮状を救おうと、アスペルガーが勤務するクリニックでは、治療病棟とともにデイセンター(生活支援施設)が立ち上げられ、治療にとどまらず、子供たちの生活全般を支える取り組みが行われていました。 その施設には、さまざまな境遇の子供たちが連れて来られていましたが、家庭や学校で不適応児として扱われていた子供たちが預けられるケースも多かったそうです。

そうした子供たちとの関わりの中で、アスペルガーは、奇妙な一群の子供たちの存在に気付くようになります。
この未知のタイプの子供たちは、いくつかの共通点を持っていました。アスペルガーは、この行動やコミュニケーションの仕方が奇妙で、社会的な適応に問題を抱えているが、独創的ともいえるユニークな能力を備えている、 共通点を持った一群の子供たちについて、20年以上もの臨床的経験を積み重ね続けました。その彼の論文が刊行したのは、1944年、2度目の大戦も敗色濃厚となった時期のことでした。

一方、その頃のアメリカでは、精神科医のレオン・カナーによって、社会性やコミュニケーションに重い障害を抱えた一群の子供たちの存在が見出され、「自閉症」名づけられました。カナーの自閉症は、知能やコミュニケーション能力の障害も深刻なケースで、 アスペルガーが見出した子供たちとは、知能や言語能力において大きな隔たりがありました。アスペルガーの論文の存在はほとんど知られることなく、アメリカで独自の自閉症の概念が発展することになります。

アスペルガーの研究が英米でも知られるようになったのは、自らも自閉症の娘を持つ、社会精神医学者ローナ・ウイングが1981年に、ドイツ語で書かれたアスペルガーの論文を英語圏に紹介したことからでした。彼女は、自閉症が従来考えられていたよりも、 もっと頻度が高いもので、軽症から重症まで広がる「スペクトラム(連続体)」であるとの考えを打ち出しました。
アスペルガーが見出した子供たちと、カナーが見出した子供たちを、連続性を持った「自閉症スペクトラム」として捉えるという発想が生まれたのです。 1994年には、アメリカ精神医学会とWHOが、ともにこの症状について診断基準への採用を決めています。これにより、急速にアスペルガー症候群(アメリカ精神医学会ではアスペルガー障害)という名称が用いられるようになりました。

現在、アスペルガー症候群もしくはその傾向を持つ人は100人中2~3人はいると言われており、増加の一途をたどっています。1996年から2007年において、アメリカの統計では、アスペルガー症候群を含む「自閉症スペクトラム(広汎性発達障害とも呼ばれる)」 の有病率は10年間に7倍以上、年率2割を超えるペースで増え続けており、異常なペースで増え続けています。
私が現在通院している病院では、月に1回予約を受け付けていますが、受付時間の8時半ちょうどから延々とかけ続けても、話し中の状態が続き、業務の合間を見て2時間が過ぎた頃、やっと繋がったと思ったら予約受付終了です。私が初診の予約に成功したのは、初めて電話をかけてから3か月後のことでした。

いまではメジャーになった診断名ですが、この名が広く知られるようになってから、まだ日が浅く、いかに診断を希望する人が多いか、そして発達障害を専門とする医療機関が少ないか、このことからも分かると思います。 また、この症状ははじめ子供のケースのみ報告されていました。現在のように大人の問題であるという認識が定着するのは、さらにごく最近になってからのことです。
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